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さて、おもてなしとは - So, What is Omotenashi?

"English follows Japanese 2020 年東京オリンピック誘致のためのプレゼンで、滝川クリステルさんのプレゼンからのひと場面「お・も・て・な・し」が話題になっていますが、さて、おもてなしの精神とはいかに。 言葉として考えてみると「もてなす」を名詞化して「もてなし」。そこにさらに「お」をつけて丁寧語にしているものと考えられます。では、「もてなす」とは? たいていの国語辞書では、こういった意味で説明されています。 こころからの歓待の意を表して相手を丁重に扱うこと。 ここで気づくのは、おもてなしには常におもてなしをする側と、それを受ける側が必ずいることがわかります。 では、歓待の意を表するとはどうすればいいのか?これはさすがに言葉だけからは意味をつかみかねます。 歓待の意の表現方法は、千差万別といっても過言ではありません。 日本とアメリカ合衆国でも違いますし、同じ日本でも極端に言えば家庭ごとに違うともいえます。 それでは、歓待の意はもてなす側の方式で行うのか、もしくは受ける側の方式で行うのか、という疑問がわきます。 私は、どちらも。というより、いずれにも共通する要素をいれていくことがおもてなしだと考えています。 となると、「もてなす」という行為はもてなす側の動作を示しているようで、一方、もてなされる側の表現も必要とされていることがわかります。 ここが、日本式のおもてなしの難しさで、歓待の中にどういった意が含まれているかということを受ける側はしっかりと察知し、認識することを求められるのです。 このあたりが、仕事の分担からうまれた Service や、いかに相手のことを注意深く丁寧に扱うかという Hospitality といった概念とは大きく異なる所以です。 ここで、以前、 炭屋、おもてなしはお茶の心で という本を読んだ時のことに触れておきたいと思います。 炭屋先代のご主人は、炭屋のおもてなしの方法を守り続けた人でした。茶事の様式を基に最上級のくつろぎを提供する京都の旅館ですが、もちろんそこで提供されるものはリッツカールトンなどが提供するものとは大きく異なります。 先代のご主人はこの違いのわからない方には、ご利用いただかなくて結構という姿勢だったそうです。 例えば、一枚板の廊下でキャリーバッグを引こう

平成二十三年 長月 利休忌のこと

足早に境内を抜けて瑞光院に入ると、まさにお茶席がたつところであった。受付の女性の方に奥の茶室に通してもらう。どうやらこのかたも、同じ席に入られる様子。幸運にも勝手かわからない席で懐紙の持参も忘れた私に丁寧に説明してくれた。席は二間をつなげた広めの部屋。軸は先代の大徳寺の住職の書。秋の花が二三投げ込まれた竹編みの花入れ。菓子は季節の生菓子に落雁、ふのやきであんを包んだもの。手前席から離れた方の床には栗の香合、柿右衛門の掛けもの。 風炉、水差し共に初秋の利休忌をしのぶ詫びしさがある。亭主は気さくに座を崩すように進めてくれた。ジーンズとTシャツ姿の私を皆温かくむかえいれてくれた。楽しい。一言そう感じる時間。かいた恥すら清々しい。 正客から平茶碗が回ってきて見聞させていただく続いて各客に水屋からたてだしがはこばれてくる。一服目は薄茶。器もそれぞれに面白い。もう一服、濃茶で統一された器。黒塗りに金の紋様。並ぶと場がしまる。この日は棗など拝見させていただき、お開きとなる。 他の院でもお茶席が開かれていたが、なかなか混んできたので、大徳寺をあとにする。