スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2020の投稿を表示しています

庚子から辛丑へ

 *English following Japanese 東京ではまもなく庚子の歳が終わり、辛丑へと干支が変わろうとしています。庚子の年は、新しいことが始まる年というのを読み、年の初め頃、今年から新しい事が始まりいろいろなチャレンジがありそう、といった話を仕事のCoffee  Breakでしていたのが懐かしく思い出されます。結果としては、ウィルスによる大きな生活と仕事の変化がありました。 ウィルスの脅威はありますが、いったんそこは置いておいて、実際の生活や仕事の変化だけを考えると、私の環境はすごく改善されたように思います。 通勤しなくて良くなったことで、仕事と私生活のスイッチを柔軟に行えるようになりました。このことで集中して働ける時間をしっかり取れて、一方で家族との時間も今までより多くとることができるようになりました。 風邪やインフルエンザのリスクも下がりました。職場などでうつった、という話もないので、実際に 0.17% までインフルエンザの感染者数が下がったという記事も見ました。マスク、手洗い、うがい、手指の消毒、これだけで防げることが多いということですね。当然、体調悪くなる人が減れば、チームでの予定外の生産性低下のリスクも下がります。 コミュニケーションについても、考える良い機会をもらえたと思っています。直接会って会話をしたり同じ時間を過ごせるのは、すごく大切なことだったなと感じるとともに、そこから密度と頻度のバランスについても改めて見直すことができました。物理的に直接会うコミュニケーションは、密度の高いものですが、そのためには準備なども必要でやはり頻度は低くなります。一方で、オンライでのコミュニケーションは密度が下がり、その代わり頻度を上げることで同じ情報を共有し続けることができるなと感じました。発見と持続のバランスにもつながると感じています。 まもなく、辛丑です。辛丑は、一つのことが完全に終わり、新しい道を開くための手探りをする年でもあるそうです。挑戦や開拓の手応えを得るまでには、数年かかりそうな記述を散見しますが、誰かのためになる利他につながることであれば、そこに向かって失敗を繰り返しても、学びと成長をしながら進む歳になりそうですね。 At Tokyo, we are going to the next year - 2021 soon.  (10pm o

「正しい」ということへの欲 - desire for Correct

 *English following Japanese 「1+1 は?」こう聞かれると、なんの疑いも持たず「2」と答えると思います。そして、それが「正しい」と多くの人が考えるでしょう。確かに算数・数学において「2」という回答は正しいです。ただ、算数・数学の枠を外せば、縦の棒が3つ、横の棒が1つ書かれているだけです。もっと言えば、いまコンピューターの画面でこれを見ていれば、直線が4本、うち2本が交差しているだけです。紙の上にペンでかかれたものであれば、それは紙という物質の上にインクが引かれているだけです。 屁理屈のように思われるかもしれませんが、私達は自然と自身の思考の枠組をつかって状況を判断し、そこから回答を出しています。そしてその自身の思考の枠組が常識と信じているため、そこから出された回答に自信がある場合、「正しい」ということを強く要求してしまいます。 もしかしたら、この「正しい」ということに対する人の欲求はあらゆる欲の中で一番強いものかもしれません。「正しい」と言われて嫌な気がする人は、私はみたことありません。人は、自分で「正しい」と思う選択肢を選択して行動しているからです。 でも、上述のように「正しい」というのはあくまでも特定の枠組みの中でのみ成立するため、絶対普遍の「正しい」は存在しません。先程の「1+1 は?」という単純な例をとっても、算数・数学という枠組みでは正しいですが、そこから離れると、色々な解釈の方法があることがわかります。 この「正しい」欲を満たさんと言動を繰り返すと、ある一定の枠組みを外れたところで、大きな軋轢を生みます。それは争いにつながることもしばしばです。一方で、ここまでの世界や経済は、この「正しい」の追求により大きく発展してきたようにも思います。ただ、より早くより広く世界がつながった今、「正しい」の追求は多くの争いを生み出す種となってきています。 もし、何か自分で「正しい」と思う行動や発言をする際、「あれ?」と思う反応があったら一つ落ち着いて「利他」を考えてみると良いと思います。いま自分が「正しい」と思う行動や発言は、誰にどんな利をもたらすことができるだろうか?人だけでなく環境にどんな利をもたらすことができるだろうか。きっと、方法や方針を変えて争いを避けて先に進むきっかけを見つけることができるでしょう。 ”1+1=?”  You wi

独服というスイッチ - Dokufuku (turning on/off mentally)

*English follows Japanese 以前、髪の毛を切りに行っていたサロンのオーナーさんから「恐ろしい顔をしている」と言われたことがあります。それは仕事が忙しい時期、その帰りにカットをしに寄ったときのことでした。最近では家で電話会議に出て、直後にリビングに戻ると子供が顔色をうかがうことがあり、久しぶりにかつてそのサロンのオーナーさんから言われた言葉を思い出しました。 外で仕事をすることがなくなって、気持ちをリセットして切り替えるプロセスもなくなっている。 そこでふと思い出したのが独服です。独服はもともと、独りで一服すること。つまり自分で自分を一碗の茶でもてなすことです。ポットのお湯をティーパックのはいったカップに注げばお茶が飲める時代ですが、お客様にお出しするつもりで一手間かけてみることで、これが一日の中でオンとオフを切り替える良いツールになります。(興味のある方は、「 茶―利休と今をつなぐ (新潮新書) 」を読んでみてください。茶道の観点からわかりやすく説明されています。) 私は、一日に2回、それぞれ違う飲み物でこの独服を行うようになりました。 まずはオフからオンへ。コーヒーを飲みます。 朝食を済ませると、仕事の準備を簡単に済ませたら、お湯を沸かします。 ミルを出してきて、そこに近所の珈琲屋さんが月ごとにだしているブレンドの豆をいれて、ゆっくり挽いていきます。お湯の沸く音、豆が挽かれていく音を注意深く聞き、そしてペーパードリップでコーヒーを淹れています。 ゆっくりとドリップをして、カップ一杯の珈琲を一口、二口。プロではないので日によって味わいが微妙に変わるのもまた一興。 15 分くらいの時間ですが、このあと、カップを仕事のスペースに持っていきスケジュールやメールをチェックしながら、珈琲をすすっていくと、徐々に脳が活性化され、気持ちが仕事に向いていきます。 そして、二回目の独服はオンからオフへ。 日によって異なりますが、タイミングは夕食の前か後。今度は抹茶です。 同じようにお湯を沸かし、布巾を用意します。台所には、時期に合いそうなものや、お気に入りの茶碗を常時おいてあります。茶碗を手元において、茶筅を立てます。 その間に、これまたその時期に気に入ったものやいただき物の干菓子や半生菓子を皿にのせて、テーブルにセット。