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7月, 2013の投稿を表示しています

琵琶湖疏水プロジェクト - Lake Biwa Canal Project -

*English follows Japanese インクラインの桜並木、南禅寺や無鄰菴の観光を楽しまれた人、また蹴上のつつじを楽しまれた人は多いと思います。けれども、このインクラインが何故できたのか、蹴上に水道局があり発電所まである背景をふと考えてみたことはありますか。ここには、驚くほど入念に計画された都市構築のアイディアが隠れています。 明治時代に入ると、首都が京都から東京に移ったことで多くの人や産業が京都を離れていきます。結果として徐々に衰退しつつあった京都の産業を盛り返すべく当時の京都府知事が考えたのが、この疎水からなる都市計画だったのです。ここではいかにこのプロジェクトが生活にも産業にも結びついたものであったか確認していきたいと思います。 そもそもこの疎水そしてインクラインが出来る前、京都と大津の間は人と馬をつかって荷物を運んでいました。起伏のあるあの一帯での運搬はかなりの重労働です。そこで、琵琶湖から疎水を引いて運河を通すことになります。また、蹴上のあたりには南禅寺があり、南禅寺一帯の住宅地は高いところにあるため、さすがに運河では運べません。普通に考えると、そこで荷をおろし陸路で運ぶことになるのですが、大胆にも船ごとレールに乗せて運び上げるという考えをしたところにこのインクラインの一つ大きなポイントがあります。 このように疎水とインクラインは物流が主たる目的で建設されたことがわかります。ただ、この計画がどのように都市計画へと成長したのでしょうか。 まずインクラインで船をレールに乗せて運び上げるには、電力が必要になります。その電気をどうやって賄うかということが課題になりました。もちろん電気を引いてくることもできたでしょうが、ここで取り入れられたのは大胆にも発電です。しかも当時アメリカで開発されたばかりの水力を採用したのです。この計画で目をつけたのは疎水を引くことができるくらいの一帯の水量と勾配だったのです。 さらに、電力が賄われてこれで船も運び上げることができるようになりました。ところが、電力をそれだけに使うのでは余ります。余った電気は周辺の会社や家庭に提供されることになります。これが後の京電開通に大きく影響することになります。 また、張り巡らされた疎水は運搬にとどまりません。南禅寺や一帯の別荘だけでなく。本願寺あたりのお寺にも池

ハンニバル亡き後のローマと、ジョブス亡き後のマイクロソフト - Rome after Hannibal going away, Microsoft after Jobs going away -

*English follows Japanese     日本ではさほど話題になりませんでしたが、アメリカ本国では決して小さなニュースではなかった今回のマイクロソフトの再編。この出来事をどう読み解くか?さまざまな視点からの意見がすでに飛び交っていますが、はるか昔の歴史と照らし合わせてこの出来事を見てみたいと思います。   かつて地中海諸国の知識と技術を吸収しながら徐々にその基礎固めを行っていたローマ帝国は必然か運命だったのか、カルタゴとの戦争時代に突入していきました。そのカルタゴにおいて本国でも特異な存在として扱われ、国からの十分な助けを得られずも、ローマを追い込み続けたのがハンニバルです。ローマ帝国はハンニバルに苦しめられましたが、そのハンニバルに敗けた戦いの場から辛くも逃げることができたスキピオが、ハンニバルから戦術を学び最終的にそのハンニバルに勝利することになります。 さて、アップルコンピュータを創業するもその会社を追われ、再びもどり、時代の寵児となったスティーブ・ジョブス。かれはマウスで操作できる GUI 型のコンピュータをいち早くリリースしました。しかし、ご存知のように PC の世界はマイクロソフトが勝利をおさめます。再び戻ったスティーブ・ジョブスは iPod, iPhone, iPad というデバイス、そして iTunes というサービスを駆使して独自の ecosystem を作り上げます。あっという間に PC ビジネスのシーンは Tablet の時代に突入し、デバイス&サービスというモデルが主流となりました。そして勝利への道をつくったところでスティーブ・ジョブスは亡くなりました。   ローマ時代の出来事と、この現代での出来事の大きな違いは、ローマは確実にハンニバルを破りましたが、マイクロソフトは押されたまま、そのライバルがいなくなってしまいました。 最近では堂々と公言するようになりましたが、たとえライバルであってもその能力をとりこんで強くなるのがマイクロソフトのスタイルといえます。気づけば、「我々はデバイス&サービスカンバニーだ」といい、「マイクロソフトのビジネスの根源は人々の生産力、そして創造力を大きく伸ばすことに貢献するツールを提供しているのだ」ともいいます。 今回の組織再編は間違いな

パフォーマンスのしきい値 - The manner of show performance -

つい先日、とある Windows 系の Tech イベントに参加してきた時のお話です。 ご存知のように現在 PC 市場のシェアはある一定のラインに向かって着陸しようというところで、Tablet や Mobile といった市場でのシェアでどのような戦略を持って取り組むかというとことろが Windows としては重要な局面であるといえるでしょう。 そのため、イベントもいかに Apple や Google といった競争相手の成否と比べた優位性が随所に説明されていて、なかなかに内容のあるものでした。 きっとパートナー企業にとっては、戦略を再度確信できる内容であったのではないかと思います。 さて、このイベントの終盤で総括のように、Windows デバイスが Microsoft 製品との融和によりいかに使いやすいものであるかを説明するコーナーが有りました。 プレゼンターはあらゆるシーンを想定したデモでとてもよい説明ができていたと思います。 しかし、一番最後、彼はおもむろに MAC Book Air を持ち上げて、画面を逆方面に曲げていきバキっと割ったのです。おそらく、それまでに紹介していた Windows デバイスの一部が約 360 度フレキシブルに画面を回転することができることとの比較を派手に実施したかった意図もあったのでしょうが、果たしてこのパフォーマンスは聴衆の心をつかむことができたのだろうかと疑問に思いました。 ここ数年、Microsoft はソフトウェア メーカーではなく Device & Services Company だと公表しています。自らをデバイスを提供している会社と言っている以上、やはりすべてのデバイスに対して敬意は払うべきだと思います。 パフォーマンスは時に聴衆の想像を超えたシーンを見せる必用があるのは確かです。もちろん何かを破壊することも方法の一つでしょう。 しかし、人の心を真に高揚させる瞬間は、常に破壊からではなくて創造からでしかありません。 今後、さらに色々な形態のそして機能を持ったデバイスが各社から出てくることと思います。是非とも、互いに潰し合うような戦いではなくさらなる興奮と感動をもたらすプレゼンをして欲しいと思います。 A couple of days ago, I attended to one of