スキップしてメイン コンテンツに移動

パフォーマンスのしきい値 - The manner of show performance -

つい先日、とある Windows 系の Tech イベントに参加してきた時のお話です。
ご存知のように現在 PC 市場のシェアはある一定のラインに向かって着陸しようというところで、Tablet や Mobile といった市場でのシェアでどのような戦略を持って取り組むかというとことろが Windows としては重要な局面であるといえるでしょう。
そのため、イベントもいかに Apple や Google といった競争相手の成否と比べた優位性が随所に説明されていて、なかなかに内容のあるものでした。
きっとパートナー企業にとっては、戦略を再度確信できる内容であったのではないかと思います。

さて、このイベントの終盤で総括のように、Windows デバイスが Microsoft 製品との融和によりいかに使いやすいものであるかを説明するコーナーが有りました。
プレゼンターはあらゆるシーンを想定したデモでとてもよい説明ができていたと思います。
しかし、一番最後、彼はおもむろに MAC Book Air を持ち上げて、画面を逆方面に曲げていきバキっと割ったのです。おそらく、それまでに紹介していた Windows デバイスの一部が約 360 度フレキシブルに画面を回転することができることとの比較を派手に実施したかった意図もあったのでしょうが、果たしてこのパフォーマンスは聴衆の心をつかむことができたのだろうかと疑問に思いました。

ここ数年、Microsoft はソフトウェア メーカーではなく Device & Services Company だと公表しています。自らをデバイスを提供している会社と言っている以上、やはりすべてのデバイスに対して敬意は払うべきだと思います。
パフォーマンスは時に聴衆の想像を超えたシーンを見せる必用があるのは確かです。もちろん何かを破壊することも方法の一つでしょう。
しかし、人の心を真に高揚させる瞬間は、常に破壊からではなくて創造からでしかありません。

今後、さらに色々な形態のそして機能を持ったデバイスが各社から出てくることと思います。是非とも、互いに潰し合うような戦いではなくさらなる興奮と感動をもたらすプレゼンをして欲しいと思います。


A couple of days ago, I attended to one of the technical event for Windows devices.  As you know, PC share is landing a stable number of shares by decreasing a number of devices in the market.  On the other hand, Tablet and mobile devices are increasing shares in market of digital gadgets.   Currently, Windows is stands very important aspect in this new market.  In this event, also, presenters attempted to explain about advantages of WIndows devices comparing to Apple and Google devices.   I felt that the contents are very insightful and motivated their partners to develop and to make a new strategy for penetrating into this market.

By the way, in the last section of this event, one of presenter shows that users are able to make their performance better with various usable Microsoft services on Windows device environment.   This presentation shows how to use servies on multiple devices depending on various scenes.   I had felt them good as the last session of this event.   Suddenly, he grabbed one MAC Book Air and turn display to the opposite direction and broke it.   I supposed that he would like to present that some WIndows PC is able to rotate display flexible, but MAC is not.   However, I doubt if audiences had good interest or was attracted by this event.

Microsoft announced them as "Device and Services Company", not a "Software" company.   In my opinion, Device maker has to respect for all of devices including competitors'.   And they should not break devices if it is competitor's one.   A presenter sometime has to perform more exciting than attendees expect.  And, certainly, breaking something grab their interest sometime.  However, to make all users and attendees exciting, it is only to create amazing idea, not breaking something.

Microsoft, Apple, and Google are going to develop more and more great devices.  I'm looking forward to catching them and seeing announcement by great presentations and press information without breaking devices, with breaking legacy technologies!

コメント

このブログの人気の投稿

庚子から辛丑へ

 *English following Japanese 東京ではまもなく庚子の歳が終わり、辛丑へと干支が変わろうとしています。庚子の年は、新しいことが始まる年というのを読み、年の初め頃、今年から新しい事が始まりいろいろなチャレンジがありそう、といった話を仕事のCoffee  Breakでしていたのが懐かしく思い出されます。結果としては、ウィルスによる大きな生活と仕事の変化がありました。 ウィルスの脅威はありますが、いったんそこは置いておいて、実際の生活や仕事の変化だけを考えると、私の環境はすごく改善されたように思います。 通勤しなくて良くなったことで、仕事と私生活のスイッチを柔軟に行えるようになりました。このことで集中して働ける時間をしっかり取れて、一方で家族との時間も今までより多くとることができるようになりました。 風邪やインフルエンザのリスクも下がりました。職場などでうつった、という話もないので、実際に 0.17% までインフルエンザの感染者数が下がったという記事も見ました。マスク、手洗い、うがい、手指の消毒、これだけで防げることが多いということですね。当然、体調悪くなる人が減れば、チームでの予定外の生産性低下のリスクも下がります。 コミュニケーションについても、考える良い機会をもらえたと思っています。直接会って会話をしたり同じ時間を過ごせるのは、すごく大切なことだったなと感じるとともに、そこから密度と頻度のバランスについても改めて見直すことができました。物理的に直接会うコミュニケーションは、密度の高いものですが、そのためには準備なども必要でやはり頻度は低くなります。一方で、オンライでのコミュニケーションは密度が下がり、その代わり頻度を上げることで同じ情報を共有し続けることができるなと感じました。発見と持続のバランスにもつながると感じています。 まもなく、辛丑です。辛丑は、一つのことが完全に終わり、新しい道を開くための手探りをする年でもあるそうです。挑戦や開拓の手応えを得るまでには、数年かかりそうな記述を散見しますが、誰かのためになる利他につながることであれば、そこに向かって失敗を繰り返しても、学びと成長をしながら進む歳になりそうですね。 At Tokyo, we are going to the next year - 2021 soon....

独服というスイッチ - Dokufuku (turning on/off mentally)

*English follows Japanese 以前、髪の毛を切りに行っていたサロンのオーナーさんから「恐ろしい顔をしている」と言われたことがあります。それは仕事が忙しい時期、その帰りにカットをしに寄ったときのことでした。最近では家で電話会議に出て、直後にリビングに戻ると子供が顔色をうかがうことがあり、久しぶりにかつてそのサロンのオーナーさんから言われた言葉を思い出しました。 外で仕事をすることがなくなって、気持ちをリセットして切り替えるプロセスもなくなっている。 そこでふと思い出したのが独服です。独服はもともと、独りで一服すること。つまり自分で自分を一碗の茶でもてなすことです。ポットのお湯をティーパックのはいったカップに注げばお茶が飲める時代ですが、お客様にお出しするつもりで一手間かけてみることで、これが一日の中でオンとオフを切り替える良いツールになります。(興味のある方は、「 茶―利休と今をつなぐ (新潮新書) 」を読んでみてください。茶道の観点からわかりやすく説明されています。) 私は、一日に2回、それぞれ違う飲み物でこの独服を行うようになりました。 まずはオフからオンへ。コーヒーを飲みます。 朝食を済ませると、仕事の準備を簡単に済ませたら、お湯を沸かします。 ミルを出してきて、そこに近所の珈琲屋さんが月ごとにだしているブレンドの豆をいれて、ゆっくり挽いていきます。お湯の沸く音、豆が挽かれていく音を注意深く聞き、そしてペーパードリップでコーヒーを淹れています。 ゆっくりとドリップをして、カップ一杯の珈琲を一口、二口。プロではないので日によって味わいが微妙に変わるのもまた一興。 15 分くらいの時間ですが、このあと、カップを仕事のスペースに持っていきスケジュールやメールをチェックしながら、珈琲をすすっていくと、徐々に脳が活性化され、気持ちが仕事に向いていきます。 そして、二回目の独服はオンからオフへ。 日によって異なりますが、タイミングは夕食の前か後。今度は抹茶です。 同じようにお湯を沸かし、布巾を用意します。台所には、時期に合いそうなものや、お気に入りの茶碗を常時おいてあります。茶碗を手元において、茶筅を立てます。 その間に、これまたその時期に気に入ったものやいただき物の干菓子や半生菓子を皿にのせて、テーブルにセット。...

さて、おもてなしとは - So, What is Omotenashi?

"English follows Japanese 2020 年東京オリンピック誘致のためのプレゼンで、滝川クリステルさんのプレゼンからのひと場面「お・も・て・な・し」が話題になっていますが、さて、おもてなしの精神とはいかに。 言葉として考えてみると「もてなす」を名詞化して「もてなし」。そこにさらに「お」をつけて丁寧語にしているものと考えられます。では、「もてなす」とは? たいていの国語辞書では、こういった意味で説明されています。 こころからの歓待の意を表して相手を丁重に扱うこと。 ここで気づくのは、おもてなしには常におもてなしをする側と、それを受ける側が必ずいることがわかります。 では、歓待の意を表するとはどうすればいいのか?これはさすがに言葉だけからは意味をつかみかねます。 歓待の意の表現方法は、千差万別といっても過言ではありません。 日本とアメリカ合衆国でも違いますし、同じ日本でも極端に言えば家庭ごとに違うともいえます。 それでは、歓待の意はもてなす側の方式で行うのか、もしくは受ける側の方式で行うのか、という疑問がわきます。 私は、どちらも。というより、いずれにも共通する要素をいれていくことがおもてなしだと考えています。 となると、「もてなす」という行為はもてなす側の動作を示しているようで、一方、もてなされる側の表現も必要とされていることがわかります。 ここが、日本式のおもてなしの難しさで、歓待の中にどういった意が含まれているかということを受ける側はしっかりと察知し、認識することを求められるのです。 このあたりが、仕事の分担からうまれた Service や、いかに相手のことを注意深く丁寧に扱うかという Hospitality といった概念とは大きく異なる所以です。 ここで、以前、 炭屋、おもてなしはお茶の心で という本を読んだ時のことに触れておきたいと思います。 炭屋先代のご主人は、炭屋のおもてなしの方法を守り続けた人でした。茶事の様式を基に最上級のくつろぎを提供する京都の旅館ですが、もちろんそこで提供されるものはリッツカールトンなどが提供するものとは大きく異なります。 先代のご主人はこの違いのわからない方には、ご利用いただかなくて結構という姿勢だったそうです。 例えば、一枚板の廊下でキャリーバッグを引こう...