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先入観の気付き - Be aware of your bias -

* English followed Japanese.

ちょうど先日、アメリカの最高裁判所で同性婚が認められる決議が下りました。ここのところ、LGBT (Lesbian, Gay, Bi-Sexual, Transgender) をめぐる話題が続々と報道されいますが、もう少し広く視野を広げて先入観について少し考えてみます。

はじめに、先入観を持つことは良し悪しの話ではありません。先入観は、まえもっていだく固定的な観念のことをいいます。この固定観念からのみ発生した言動については良し悪しの判断をつけることが可能ですが、固定観念を持ってしまうこと自体は良し悪しをつけることができないと考えます。
逆説的に考えると、固定観念が存在するからこそ多様性も生まれると言えなくはありません。
すべての人が大豆は納豆の材料だと先入観を持っていたら、きっとお豆腐は家庭の食卓に並ぶことはなかったかもしれないと思うことがあります。
もちろん、寒天のように偶然発見されることもありますが。

つづいて、先入観は文化、慣習のたまものであり、言うなれば個性の表れの一つであることに注目してみます。固定的な観念は、簡単には保持することができません。家庭環境、社会環境、から使っている言語。最近ではそこから生まれる趣味嗜好がネット上でマッチしているネット上の環境も固定的な観念を育ててくれる要因になりえます。
つまり一人一人がもつ固定観念は、細かく細分化していくとすべて一致することは非常にまれと言えます。だからこそ、先入観は個性だと考えます。
先日友人が SNS に、かえるのうたの歌詞について投稿していました。
a. げげげげげげげげ ぐわっぐわっぐわっ
b. ゲロゲロゲロゲロ ぐわっぐわっぐわっ
これ、どちらが正しい歌詞かわかりますでしょうか?
実はどちらも正解と捉えることができます。地域や世代によってどうやら異なるようです。

最期に、気づくための方法です。私がよく使うのは「普通」もしくは「前から〜」と口にしてしまうことです。「普通」とはまさに、自らの先入観にもとづいた考えであることの宣言とも言えます。この二文字が頭をよぎったら、自らの先入観を知る良い機会です。例えば、先ほどのかえるのうたの例では、誰もが知っていると思われる「普通」の民謡から個性の類似性と相違性を確認できます。
仕事でも、意識をしないで日々実施している作業や手順があれば、ピックアップしてみるとよいでしょう。「前から〜」とか「そう教わってきたから」ということで実施しているものが、先入観で一番最適としている可能性があります。
何はともあれ、まずは気づいてみることが大切です。


そんな私も、少し前に勉強になった先入観は年齢でしょうか。仕事関係の人との食事会などで、しばしば年齢を聞かれたり、伺うことがあります。さすがに女性にはという方も、男性同士であったりすると問題意識を持たない人も多いのではないでしょうか。
先日、アメリカ人の方との食事で、彼の部下について話題になりました。
その際に、話の中でつい年齢を聞いてみたところ、「知らない。たとえマネージャーであっても、部下の年齢については知らない。聞くべきではない。」という回答をもらいました。
なるほど。言われてみれば確かに、知る必要もないし。そういう質問をすることが、会話の中で妥当と考えたことに先入観があったのだと、気づきました。

みなさんも、どんどん先入観を感じてみてください。世の中、広がりますよ。


A few days ago, Supreme court in USA ruled in favor of Same Sex Marriage.  In a recent couple of months, also, there are lots of news we saw regarding LBGT (Lesbian, Gay, Bi-Sexual, Transgender).   While it's being like a trend news gradually, I would like to consider about "bias" more in today's blog.

At first, there is not a good or bad things to have "bias".   By making sure about the meaning of "bias" on the web dictionally, it describes "prejudice in favor of or against one thing, person, or group compared with another".  Of course, we are able to determine if it is good or bad regarding what we do with our prejudice.   However, we are NOT able to determine it as good or bad to have prejudice.
By contraries, prejudice makes diverse.
If everyone has the same bias, a wheat is used for making pasta, we would not be able to enjoy a piece of delicious pizza.   Of course, someone would find it from a chance.

Secondary, bias is developed by our culture or convention.  It should be one of  individual characters.   We hardly develop and keep prejudice because we are developing bias from life, social, language, and recently on-line environment.   This means that each bias is hardly the same as someone's one.   Consequently, I consider that bias is an individual character.

Lastly, how can we be aware of our bias?   I frequently pay my attention to the word "usually" or "I'm doing xxx previously....".   "Usually" or "Generally" is just what we declare to our bias.   If you makes equal symbol in your brain when hearing the word "marriage", it must be your bias now.
Anyway, I recommend you to try "being aware" of your "usually" or "I'm doing xxx previously...." at first.

In sum, I'm still aware of my bias.   Why don't you try being aware of your bias?   You are able to find more diversified and inclusive world.

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