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本を読んで - 中国人とアメリカ人

新しい本を読んでも、なかなか書棚に留めることが少ないのですが、こちらは久しぶりにまた秋頃に読み返そうと思った一つです。

中国人とアメリカ人

中国とビジネスをされている方、外資系に努められている方。
読んでみると頭のなかで点在していた情報が、整理されるかもしれません。

こちらの本では、著者の体験と数々のデータによって、中国人とアメリカ人の似ている所、異なる所。そして、日本人が国際社会で彼らとビジネス活動をはじめ各種生産的な活動を行う際に非常にヒントになる情報が説明されています。

読んでいてまず、思い当たるのが「普通」というのと「以前からそうしてきたので」というこの2つのキーワードです。
日本でとにかく老舗の会社やビジネスマンと話をすると、この2つのキーワードが頻繁に出てきます。とりわけ、一度成功した組織や人はよくこの言葉を口にします。
「普通」というのは、Generally とか Basically とも違うように思いますし、Usually に近いような気がしています。(拙い英語力からくるイメージですが)
統計的であったり、論理的な思考に裏付けされたものではなく、複数の感覚的な要因から「普通」という概念がまかり通っています。
また、「以前からそうしてきたので」も同様で、こちらも、「なんとなく」の域を脱しておらず、ただ変化を避けているような印象です。

そして読んでいく中で繰り返し示される日本人の良い所と、そこからくる欠点をみていて、ふと思い出されるのが「川端道喜」です。
「和菓子の京都」という本の中で書かれていますが、菓子職人であり、商人でありながら、時の権力者が変わってもスタイルを保ちつづけるには、愚直に良い物を作っていたからだけではなく、時代に合わせて権力や社会とバランスを取り続けていたことにあったという話が頭をよぎります。

川端道喜

この本の中で、師を越えようとするが、師を否定し、違う作風をつくろうとしないという話がありましたが、孔子が言うところの不惑であり、茶の本としては山上宗二記に書かれていたといわれる、師を左に右に違えよというところに通じるかと思いましたが、ここが一番難しいのではないかなという印象もあります。

交通も発達し、情報も、テクノロジーも垣根がなくなってくる時代。
国際的に活動する上では、自分のこと、自分の持つ文化のことをきちんと把握して、説明できること。
そして、異なる文化や習慣を持つ人との相違があることを頭で理解できることが、求められる時代になりそうです。

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