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土用の丑の日うなぎの日 - Doyo & Ox day is a eel day

*English follows Japanese 土用の丑の日、鰻の日。ということで、今年は夏土用の丑の日が2日あり、つい先日 7 月 24 日には、うな重をいただきました。次は 8 月 5 日ですね。 日本には収穫と関係なく、縁起をかついだり習慣でいただく食べ物があります。 6月の水無月もこれに該当すると思います。 うなぎを食べる起源については諸説ありますが、有名なのは平賀源内の話でしょうか。 「う」のつくものを食べると夏負けしない、という風習を基にうなぎ屋にアドバイスしたという話です。 夏負けしない「う」のつくものというと、他に梅干しがパッと思い浮かびますが、確かに梅干しも夏負け対策になると言われていますね。 うなぎもビタミンが豊富で、脂質も取れるのでスタミナが付くと言えます。 ところで、この土用だとか丑の日というのは、現代では日本でもあまり馴染みがありません。 土用というのは、五行に基づいています。五行というのは木気、火気、金気、水気、そして土気です。木気に春、火気に夏、金気に秋、そして水気に冬を割り当てます。 残った土気は、その変わり目を担います。そのため、立夏、立秋、立冬、立春の前 18 日、季節が変わる頃が土用となります。 今年は 8 月 8 日が立秋なので、18 日前の7 月 22 日からが土用入りとなります。 ちなみに、立春の前土用の終わりが節分です。 続いて、丑の日ですが、こちらは十二支を各日に割り当てたものです。 昔は、時刻も日付も十二支の表現を使っていました。 このような、計算によって土用の丑の日というのが決まります。 曖昧な説による起源で、なんとも現代生活に馴染みのない日付の設定ですが、奇しくも今年は猛暑に見まわれ、多少高くとも口にされた方は多かったのではないでしょうか。 近所のうなぎ屋も盛況だったようです。 うなぎは養殖の方法が確立されておらず、昨今は気候の変動で収穫高も減ってきているようですが、大事に味わって伝えていきたい粋な文化だと思います。 Doyo and Ox day is an eel day in Japan.  We attempts to enjoy having eel as a dinner or a lunch.  In this year, th...

先入観の気付き - Be aware of your bias -

* English followed Japanese. ちょうど先日、アメリカの最高裁判所で同性婚が認められる決議が下りました。ここのところ、LGBT (Lesbian, Gay, Bi-Sexual, Transgender) をめぐる話題が続々と報道されいますが、もう少し広く視野を広げて先入観について少し考えてみます。 はじめに、先入観を持つことは良し悪しの話ではありません。先入観は、まえもっていだく固定的な観念のことをいいます。この固定観念からのみ発生した言動については良し悪しの判断をつけることが可能ですが、固定観念を持ってしまうこと自体は良し悪しをつけることができないと考えます。 逆説的に考えると、固定観念が存在するからこそ多様性も生まれると言えなくはありません。 すべての人が大豆は納豆の材料だと先入観を持っていたら、きっとお豆腐は家庭の食卓に並ぶことはなかったかもしれないと思うことがあります。 もちろん、寒天のように偶然発見されることもありますが。 つづいて、先入観は文化、慣習のたまものであり、言うなれば個性の表れの一つであることに注目してみます。固定的な観念は、簡単には保持することができません。家庭環境、社会環境、から使っている言語。最近ではそこから生まれる趣味嗜好がネット上でマッチしているネット上の環境も固定的な観念を育ててくれる要因になりえます。 つまり一人一人がもつ固定観念は、細かく細分化していくとすべて一致することは非常にまれと言えます。だからこそ、先入観は個性だと考えます。 先日友人が SNS に、かえるのうたの歌詞について投稿していました。 a. げげげげげげげげ ぐわっぐわっぐわっ b. ゲロゲロゲロゲロ ぐわっぐわっぐわっ これ、どちらが正しい歌詞かわかりますでしょうか? 実はどちらも正解と捉えることができます。地域や世代によってどうやら異なるようです。 最期に、気づくための方法です。私がよく使うのは「普通」もしくは「前から〜」と口にしてしまうことです。「普通」とはまさに、自らの先入観にもとづいた考えであることの宣言とも言えます。この二文字が頭をよぎったら、自らの先入観を知る良い機会です。例えば、先ほどのかえるのうたの例では、誰もが知っていると思われる「普通」の民謡から個性の類似性と相違性を確認でき...

本を読んで - 中国人とアメリカ人

新しい本を読んでも、なかなか書棚に留めることが少ないのですが、こちらは久しぶりにまた秋頃に読み返そうと思った一つです。 中国人とアメリカ人 中国とビジネスをされている方、外資系に努められている方。 読んでみると頭のなかで点在していた情報が、整理されるかもしれません。 こちらの本では、著者の体験と数々のデータによって、中国人とアメリカ人の似ている所、異なる所。そして、日本人が国際社会で彼らとビジネス活動をはじめ各種生産的な活動を行う際に非常にヒントになる情報が説明されています。 読んでいてまず、思い当たるのが「普通」というのと「以前からそうしてきたので」というこの2つのキーワードです。 日本でとにかく老舗の会社やビジネスマンと話をすると、この2つのキーワードが頻繁に出てきます。とりわけ、一度成功した組織や人はよくこの言葉を口にします。 「普通」というのは、Generally とか Basically とも違うように思いますし、Usually に近いような気がしています。(拙い英語力からくるイメージですが) 統計的であったり、論理的な思考に裏付けされたものではなく、複数の感覚的な要因から「普通」という概念がまかり通っています。 また、「以前からそうしてきたので」も同様で、こちらも、「なんとなく」の域を脱しておらず、ただ変化を避けているような印象です。 そして読んでいく中で繰り返し示される日本人の良い所と、そこからくる欠点をみていて、ふと思い出されるのが「川端道喜」です。 「和菓子の京都」という本の中で書かれていますが、菓子職人であり、商人でありながら、時の権力者が変わってもスタイルを保ちつづけるには、愚直に良い物を作っていたからだけではなく、時代に合わせて権力や社会とバランスを取り続けていたことにあったという話が頭をよぎります。 川端道喜 この本の中で、師を越えようとするが、師を否定し、違う作風をつくろうとしないという話がありましたが、孔子が言うところの不惑であり、茶の本としては山上宗二記に書かれていたといわれる、師を左に右に違えよというところに通じるかと思いましたが、ここが一番難しいのではないかなという印象もあります。 交通も発達し、情報も、テクノロジーも垣根がなくなってくる時代。 国際的に活動する上では、自分のこと、自分...

使い古された満足度調査 - Outdated Survey -

English follows Japanese. * 日本語は一部データが消えてしまったので、割愛しています。完全版は英語をご覧ください。 ホテルに宿泊した際、インターネットのサイトを利用した際、クレジットカードを。。。とかく、サービスを利用するとお願いされるのが、満足度アンケートです。一般的には、3〜5段階くらいの点数をつけて、コメントを書くもので、だいたい 3 分から 5 分くらいで終わります。 ただ、これらのアンケートに回答する際、「大変満足」だったのか「満足」だったのか。また、「普通」だったのか。一方、「大変不満」だったのか「不満」だったのか。これらは記憶や主観にもより、非常に判断が難しいことが多いです。 さらに、この結果が今後のサービスに反映されたのか、どうなのか。いまいち確認することができません。 このシステム、本当に有効な方法なのでしょうか?Big Data などの技術が発達した今の時代、もう少し有効な方法はないものなのでしょうか?私は次の3つの項目に注目することで、現在のアンケートシステムを超える優れたシステムを作れるのではないかと考えています。 良いか悪いかだけを確認する SNS のデータを分析する 直接パートナーやお客様に接している担当者の声を聞く はじめに、現在のアンケート フォーマットを見なおしてみましょう。 私は、人の観想は「良い」か「悪い」かの2つしか無いと考えています。「悪い」に抵抗あるならば、「改善」でも良いと思います。点数をつけることには意味がなく、シンプルに印象に残った良かったこと、印象残った直してほしいこと。それだけを聞ければ良いのではないとか考えます。例えばホテルに宿泊した後、アンケートをメールで受け取ったことを考えます。印象に残ったサービスや食事などは容易に思い出せるでしょう。しかし、部屋の清掃、フロントマンの対応、コンシェルジュの対応、などなど、それぞれに対して「とても満足」だったか「満足」だったのか、スコアを付けるのは難しいことが多いです。結果的に、なんとなく点数をつけることも少なくないでしょう。 ところで、アンケート結果はきちんと製品やサービスの改善に使われているのでしょうか。例えば「大変満足」といったスコアがついた結果の場合、何もアクションを取っていないことはないでしょうか?何が良かっ...

珈琲と茶と - Coffee and Tea -

*English follows Japanese 先日、久しぶりに Grand Gru Cafe を訪れました。プレゼント用に本とハーフボトルを頼んで、包んでもらっている間一服することにしたのですが、思えば珈琲も茶も非常によく似ている。そもそも、一服と言っている事自体、非常に茶を服する事と重なっているのではないだろうかと。考えてみれば、喫茶店で抹茶がなくとも珈琲はありますし、お茶でもしましょうと言って、紅茶を飲むことはあっても抹茶がすっと出てくる店は少ない。つまり、茶ということが、飲食物の茶そのものではなくて一連の文化的要素から来ているのだと考えると、珈琲というのは非常に茶事にみられる茶に近いものがあると感じます。 飲食物として 茶も珈琲も薬としての飲食物でしたが、いまでは嗜好品となっています。 飲食物としての背景や現在の要素を考えた時、両方共、歴史的には医薬品としての役割を果たしていましたが、時を経て今ではお手軽に口にすることができます。値段の幅も形式もいうなれば、真行草そろった飲食物となりました。 道具のあれこれ 抹茶を点てるとすると、少なくとも茶碗と茶筅があればなんとか形になります。これに、茶こしや茶杓などがあるともう少し格好がつきます。さらには、お釜や水差し、風炉にとなってくるときりがありませんが、とにかく幾つかの道具を使う事になるのは間違いありません。 同様に珈琲を飲もうと思ったら、カップとドリッパー、ペーパーフィルターがあれば、お店で挽いてもらった豆でいれることができます。ここに、ミルだのドリップ用のポットだのと用意していけば、こちらもきりはありません。 抹茶では、炉を切ったり、軸を用意したり香合などを揃える他に、実に多様な茶碗があります。同様に、珈琲もペーパードリップ、ネルドリップ、サイフォンと様々な方法でいれることができます。もちろんカップにこだわることもできます。 このように一服の茶、一杯の珈琲を飲むにあたり、実に多様な道具が用意されているところも特徴的です。 用意と片付け 茶も珈琲もある程度の準備と片付けを必要とします。 抹茶の粉をふるいにかけ釜でお湯をわかすように、珈琲豆を挽きお湯を沸かします。 共に沸騰していればよいわけでなく、ある程度さました適温があるところも面白い共通点...

さて、おもてなしとは - So, What is Omotenashi?

"English follows Japanese 2020 年東京オリンピック誘致のためのプレゼンで、滝川クリステルさんのプレゼンからのひと場面「お・も・て・な・し」が話題になっていますが、さて、おもてなしの精神とはいかに。 言葉として考えてみると「もてなす」を名詞化して「もてなし」。そこにさらに「お」をつけて丁寧語にしているものと考えられます。では、「もてなす」とは? たいていの国語辞書では、こういった意味で説明されています。 こころからの歓待の意を表して相手を丁重に扱うこと。 ここで気づくのは、おもてなしには常におもてなしをする側と、それを受ける側が必ずいることがわかります。 では、歓待の意を表するとはどうすればいいのか?これはさすがに言葉だけからは意味をつかみかねます。 歓待の意の表現方法は、千差万別といっても過言ではありません。 日本とアメリカ合衆国でも違いますし、同じ日本でも極端に言えば家庭ごとに違うともいえます。 それでは、歓待の意はもてなす側の方式で行うのか、もしくは受ける側の方式で行うのか、という疑問がわきます。 私は、どちらも。というより、いずれにも共通する要素をいれていくことがおもてなしだと考えています。 となると、「もてなす」という行為はもてなす側の動作を示しているようで、一方、もてなされる側の表現も必要とされていることがわかります。 ここが、日本式のおもてなしの難しさで、歓待の中にどういった意が含まれているかということを受ける側はしっかりと察知し、認識することを求められるのです。 このあたりが、仕事の分担からうまれた Service や、いかに相手のことを注意深く丁寧に扱うかという Hospitality といった概念とは大きく異なる所以です。 ここで、以前、 炭屋、おもてなしはお茶の心で という本を読んだ時のことに触れておきたいと思います。 炭屋先代のご主人は、炭屋のおもてなしの方法を守り続けた人でした。茶事の様式を基に最上級のくつろぎを提供する京都の旅館ですが、もちろんそこで提供されるものはリッツカールトンなどが提供するものとは大きく異なります。 先代のご主人はこの違いのわからない方には、ご利用いただかなくて結構という姿勢だったそうです。 例えば、一枚板の廊下でキャリーバッグを引こう...

平成二十三年 長月 利休忌のこと

足早に境内を抜けて瑞光院に入ると、まさにお茶席がたつところであった。受付の女性の方に奥の茶室に通してもらう。どうやらこのかたも、同じ席に入られる様子。幸運にも勝手かわからない席で懐紙の持参も忘れた私に丁寧に説明してくれた。席は二間をつなげた広めの部屋。軸は先代の大徳寺の住職の書。秋の花が二三投げ込まれた竹編みの花入れ。菓子は季節の生菓子に落雁、ふのやきであんを包んだもの。手前席から離れた方の床には栗の香合、柿右衛門の掛けもの。 風炉、水差し共に初秋の利休忌をしのぶ詫びしさがある。亭主は気さくに座を崩すように進めてくれた。ジーンズとTシャツ姿の私を皆温かくむかえいれてくれた。楽しい。一言そう感じる時間。かいた恥すら清々しい。 正客から平茶碗が回ってきて見聞させていただく続いて各客に水屋からたてだしがはこばれてくる。一服目は薄茶。器もそれぞれに面白い。もう一服、濃茶で統一された器。黒塗りに金の紋様。並ぶと場がしまる。この日は棗など拝見させていただき、お開きとなる。 他の院でもお茶席が開かれていたが、なかなか混んできたので、大徳寺をあとにする。