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スターバックス限定ブレンド - Special blend coffee at Starbucks Kyoto Teramachi -

* English follows Japanese

よく決断したな。
これが、ある朝、寺町にあるスターバックスコーヒーでブレンドの説明を聞いたときの印象です。
この日、寺町にあるスターバックスは 10 周年を迎えていました。この 10 周年を記念して、寺町にあるスターバックスではオリジナルブレンドでコーヒーを入れていました。
オリジナルブレンドというのは、このシーズンに提供されているクリスマスブレンドとレギュラーメニューであるライトノートブレンドをお店の人が考えて配分して作ったそうです。
これだけ聞くと、お店に在庫としてある二種類の豆をお店のメンバーがブレンドして、この 10 周年を盛り上げているだけのように聞こえますが、通常、広くチェーン展開しているカフェでは、お店ごとに独自の製品を出す事を避けます。
可能な限り均一なシステムと製品を提供する事で、どこのお店に入っても期待通りのサービスと製品を消費者は得る事ができるというのが特徴だからです。
もちろん、本社から各店舗がオペレーションだけでなく製品提供に関しても細かくチェックできるシステムが整っており、システムが健全に働くようになっています。
この事をふまえて考えると、オリジナルのブレンドを作成するというイベントは驚くべき事ではないでしょうか?
たとえ理由はどうであれ、スターバックスの製品として提供する以上、店舗スタッフが作ったブレンドは必ず本社にてレビューされています。
もしかしたら、アメリカ本社にてレビューがされたかもしれません。
スターバックスは日本だけで 900 店舗以上、世界中では 17000 以上の店舗があります。すべての店舗から同様の依頼が頻繁に発生する事はないでしょうが、それでも 10 周年という節目に寛容に対応したスターバックスの方法はすばらしい。

こういったアイディアを取り入れる事は容易ではありませんが、おそらく店舗スタッフのモチベーションもあがった事でしょうし、このイベントに参加できた人は将来、同じようなことができるようになろうという気持ちを持てた人もいるのではないかとも思いました。


Good job!
This is just my impression when I heard from Starbucks staff about the explanation of today's blend at Teramachi, Kyoto.   This store celebrated 10th anniversary on that day.  And this store prepared original blend instead of regular blend.  This original blend was made from two regular beans, Christmas blend and light note blend.  And this blend was developed by the store staffs.  Only just hearing about it, you may feel it not difficult thing.   In general, however, coffee and any food chain does not permit each store to make original products because they have to provide common service and product whenever and wherever.   From this view, you feel it surprising thing, don't you?
I assume that Starbucks had been reviewed and approved this blend closely on headquarter in Japan or US.  Starbucks has now more than 17000 stores in the world.  While, of course, all stores usually does not ask HQ about similar event approval, it should be a great opportunity for fans, staffs, and company to love Starbucks more.

As I illustrated above, it is not easy thing for large company.  However, I believe that this idea should give great impression to all service company.

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